■日本ロケット協会稲谷会長の連載(ロケットニュースより)

 
日本ロケット協会 会長 稲谷 芳文 


宇宙のまがり角(5)
 
 糸川先生の話をします.先日11月11日に内之浦で,実験場開所50周年というのをやりました.いろんな人が集まって内之浦の開所当時の出来事や50年の歩みを振り返りました.同時に糸川英夫生誕100年もお祝いし,肝付町(いわゆる平成の大合併で,内之浦町は平成17年に高山町と合併して肝付町になっています)の永野町長さん達が尽力された,糸川先生の銅像の建立と除幕式も行いました.寄付の集まりが悪かったので銅像が出来ないとか,いや下半身だけしかないとか,いろんなウワサがありましたが,無事に全身完成して除幕されました.先生を知る人からは,おぉ,えらい立派だ,というのや,ううーん,と言うのやらいろんな反応でした.

 我々が宇宙研に来たのは糸川先生が東大を退官されたずっと後でしたので,残念ながら先生の薫陶を直接受けたことは一度もありません.従って銅像がどれくらい先生の雰囲気を伝えているのかは,私には分かりません.実は,私が唯一糸川先生を「見た」のは,学生の時だったと思いますが,ユシヤ製作所という下町の町工場の社長さん(みんなユシヤのオヤジと言ってました)の葬式で先生が弔辞を読まれたときです.でもそのときの印象は,あれが糸川先生だったと言うこと以外殆ど頭に残ってないのです.済みません.

 少し脱線します.このユシヤのオヤジの会社というのは,東大ロケットのはじめから,いろいろな実験のための機材や燃焼実験や飛翔実験の地上機材など,ロケットの実験に欠かせない様々なモノ作りをはじめ,現場で一緒に実験することも含め,糸川先生のみならず宇宙研のみんなが大変お世話になったそうです.私も時期はずっと後ですが,その流れの恩恵を受けて,学生の時から,なんだか思いつきのややこしい実験装置やら,はては飛ばす機体や,気球やロケットに載せるモノまで,いろんなことを彼らと一緒にやりました.「こんなん作りたいんだけど・・」と言ったら, 2−3日後にはモノが出来てきて,失敗もして・・と言う感じです.ただし私の場合は実際に世話になったのは,この社長ではなくオヤジの息子二人と番頭のサイトーさんでした.

 このころ,何か実験をしたいとかモノを飛ばしたいと思ったら,まずは機械モンは,このユシヤさんをはじめ何社かの町工場のおじさん達,電気モンは地上の計測器から搭載センサやアンプやデジタル回路まで,やはり町工場風小企業と言うか電気屋のオヤジ風の何社か,で支えてくれていました.彼らの中には,糸川先生に惹かれて研究室に出入りして,とか,大メーカの脱サラで起業して,とかの経路で,小さな会社で宇宙研のモノ作りや小規模実験の相手をしてくれているという集団を形成してるという感じでした.社長さんと,あれ作ってくれこれ作ってくれ,と直接やるのでまあ即断即決で,お金の話しは宇宙研の偉い先生とそこの秘書のお姉さんが何とかしてくれる,と言う感じで,なんだか私のような甘えた人間が育ってしまいました.

 今でもこういう雰囲気で仕事をしたり,相手をしてくれる環境は少しは残っているのかも知れませんが,いつ頃までこういう仲間と自由にものごとが出来ていたかと振り返ると,ひとつはこの世代の個人経営的社長さんや番頭さん達が引退したり亡くなったり,でその後の跡継ぎというか世代交代は多くの場合あまりうまくいってないようです.この第一世代社長または脱サラ軍団の引退と退場が,まあ90年代くらいからボチボチ始まって,最近では当時我々がいろいろなことを依存していた仕事の環境はもう既にがらりと変わってしまっています.

 これらの変化は何によってもたらされたかというと,ひとつはやはりバブルの崩壊でしょうか?景気の悪い世の中とは余裕の亡くなることと殆ど同義です.もうひとつもやはり世の中の変化で,コンプライアンスというか,シゴトとは楽しみのためにやるモノではなくてお金を対価としてするモノであるとか,100円で100円以上のシゴトをしてはいけないとか言う,ものごとをきちんとやる類のきまりのようなことです.さらにはいわゆる「sueの時代」・・・.これらの世の中の変化のことを論ずる能力は私にはありませんので,ここでは並べるだけにしておきます.一方で宇宙の仕事そのものも,何をやるのも初めてという,それこそ糸川先生の時代から,物事がだんだんできあがってきて,仕事のやり方も固定されてきて・・と言う感じで宇宙の仕事もある種の成熟された時代になっていく・・ということも,前回も少し書きましたが,この変化の理由のひとつなのだと思います.

 さて,今宇宙の仕事に入ってくる若い人たちは,こういう昔とは変わってしまった環境で仕事を始めて,「新しいことをやれ」とか,「今まで出来なかったことを大胆にやれ」,とか言われます.大体若い人にこういうことを言うのは,そう言うことが出来た時代に出来なかった人たちであって,今の変わってしまった環境のもとで出来なくても,若い人の責任でも何でもないのだと思います.「ムカシのようになぜ元気がでないか?」などとシニア連中が訳知り顔で言うのは多くの場合筋違いなので,若い人たちは大いに反論してよいのだと思います.とまずは今日のところは弁護しておきます.

 糸川先生のこと書くつもりだったのですが,脱線が過ぎて,別の話で紙面がなくなってしまいました.済みません.


(次回に続く)

バックナンバー
第1回 宇宙のまがり角(1)
第2回 宇宙のまがり角(2)
第3回 宇宙のまがり角(3)
第4回 宇宙のまがり角(4)
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