■日本ロケット協会稲谷会長の連載(ロケットニュースより)

 
日本ロケット協会 会長 稲谷 芳文 


宇宙のまがり角(9)
 

この何回か,糸川時代のものごとのスピードとか,実行者のチームの若さと活動のダイナミズム,それらと今,と言うようなことについてお話ししてきました.今回は糸川時代からはなれて,「はやぶさ」をネタにもう少しチームビルディングの話をします.

はやぶさは,2010年に小惑星イトカワから地球に帰ってきて,世の中的にはとてもインパクトの大きなミッションになったことはご存じの通りで,いろんな意味で世の中と,宇宙プロジェクトや,これと関わる人との関係を考えさせる機会がとても多くあったミッションでした.最近,はやぶさミッションの総括をする場面がありましたので,いろいろと振り返って思うところも多いのですが,この先の話しはその断面のひとつです.

小惑星や彗星などいわゆる太陽系の小天体へのミッションの構想が始められたのは,ハレーミッションの後の1980年代の終わりの頃で,JPLなどと,ある場面は協調して,ある場面は競争して,小惑星や彗星へのランデブーやサンプル採取の可能性をいろいろと検討する状況がありました.もう一つは1990年代の後半からは,宇宙研でM−Vロケットの開発によってより本格的な深宇宙ミッションが可能となるので,宇宙工学の立場で独自の何種類かの具体的なミッション検討が行われていた状況がありました.これらは,月面車や,小惑星のランデブーや,金星エアロキャプチャ/気球浮遊,などです.上記の太陽系小天体の探査ミッションや月や火星の理学ドライブの候補ミッションも併せて,多様な深宇宙ミッションの可能性が検討されていました.

結局これらの中から電気推進による巡航と小惑星のサンプルリターンという形で宇宙工学の主導で実行の具体化をしていったのが,後のはやぶさになるMUSES-C計画でした.「できるか?」「うーん,まあなんとかなるでしょかね?」計画を実行に移すかどうかという場面で,いろいろな工学チャレンジを前に,成算のありやなしやを議論するときに,当時宇宙研の所帯を支えていた秋葉,松尾先生らと実行者側の間の会話は,まあこんな感じでしたかね.ここに実行側とは上杉元締めのモトに川口システムまとめおよび低推力軌道計画ほかいろいろで計画が動いた後のプロマネ,都木まとめの電気推進,姿勢系・近接自律航法誘導制御は橋本,我々の組は地球帰還突入カプセルまとめ,などなどの面々で,それぞれにまあ後ろ盾はいたのですが,川口以下の実行者は当時の計画構想の時点で30代後半以下,1995年の計画承認時で一番上が40になったかならないか,という若いチームでした(身内なので敬称は略).

このチーム編成でその後の計画進行,探査機開発,打ち上げ,これに続くいわゆるはやぶさのハラハラドキドキショーを含む飛行運用,そして2010年6月の地球帰還へと続くわけで,この間新しい人も多く参入してきたのですが,取り敢えずよかったのは,チームの年齢構成の故に,主力の殆ど全部が,帰還運用まで実行する立場にいることが出来たことです.唯一の例外は都木さんで,開発終了打ち上げ後宇宙研を去られ,大変残念なことに帰還の約1年前に不帰の人となられました.その後は現在はやぶさ2のプロマネをやっている國中くんが後を背負っています.

地球周りと異なり惑星探査ミッションに固有のこととして,ミッション期間が長期にわたりかつメインのイベントや成果創出までに時間がかかるので,実行者の連続性の課題がよく言われることです.ISSやその上での実験プロジェクトなどはミッション期間と言うより,ISSの開発や建設に時間がかかったため,実現や成果創出まで長時間を要した例でしょう.ここでもいろいろと悲喜こもごもあったと聞きます.いずれにせよ,はやぶさは構想段階から開発運用を経て成果創出まで,まあ一声約20年という時間の経過の中で,チームが若かったが故に,ミッション終了まで殆どの実行者が現役でいることができた状況があって,これはある意味で幸運なことでした.

一方これは宇宙研という特殊な社会であるからできることであって,人のアサインメントのルーズな,大学的な状況だからできることとも言えますし,人の流動性の低いことのなせる技であるとしたらこれでよいのか?との論もまたあり得るのでしょう.さらには,これを支えたメーカーでも同様で,民間企業では20年間も同じ人が開発が終わっても同じ場所にいる,というのはあり得ないので,はやぶさの帰還の時や後継機計画のはやぶさ2でチームを作るときに,このあたりは大いに問題となったところです.

例えば太陽系脱出のパイオニア10号やボイジャー1,2号,などと言うミッションでは計画開始から30年40年.実行者はどう引き継がれていくのか,大変興味のあるところです.同時に,こういうプロジェクトではいつだかの話に出てきた言い出しっぺが最後まで責任をとる,と言うスタイルでは立ち行かないのはもう明らかで,言い出しっぺがいなくなっても,物事が動く仕掛けを最初から考えておくことを強く意識しなければならない,ということでしょう.

最近思うことは,深宇宙と言うこと以外の理由でも,実は物事はもっと嵩じてきていて,いろいろな理由のためにプロジェクトの実行頻度が下がり,立ち上がりまでにかかる時間がより長くなってきていて,成果創出は言うに及ばず,打ち上げ前はおろか計画開始前ですら,言い出しっぺがいなくなるような状況まで出てきていることです.チームや構成員の個々人が高い動機を持って物事に当たると言うことを,長い時間どうやって持続し,引き継いでいくかと言う問題に行き当たります.いろいろな意味の「旬」の時期にタイムリーにものごとをやる,と言うこととも関係します.

今月以上



バックナンバー
第1回 宇宙のまがり角(1)
第2回 宇宙のまがり角(2)
第3回 宇宙のまがり角(3)
第4回 宇宙のまがり角(4)
第5回 宇宙のまがり角(5)
第6回 宇宙のまがり角(6)
第7回 宇宙のまがり角(7)
第8回 宇宙のまがり角(8)
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